無量光院
御本尊無量光如来(阿弥陀如来)
無量光院無量光院は平安時代、白河天皇の第四王子覚法親王(1092-1153)の創建です。
中興の印融大徳(1453~1519)は学徳の誉れ高く、その弟子覚融法印(1472~1555)、清胤法印(1521~1600)と才器豊かな名僧を輩出しました。戦国時代、越後太守上杉謙信公(1530-1578)は清胤(セイイン)師のもと伝法潅頂に入壇、密教の阿闍梨権大僧都の位階を得ています。
当院所蔵上杉謙信公肖像画・御位牌
悉地院
御本尊 愛染明王
悉地院
無量光院に併設する悉地院は観賢僧正(854-925)の創建と伝えられます。
戦国時代、織田信長公(1534-1582)の護持僧であった盛存房堯海(~1583年 桶狭間の戦いで今川義元公を討ち取った毛利新介の弟)が当院住職に就任、信長公に従軍し、織田家家臣団である浅野・池田・伊藤・毛利・丹羽・福島各候の帰依を受けました。
元禄年間には『忠臣蔵』で有名な赤穂藩(芸州浅野家の別家)大石良雄(内蔵助)が、切腹した主君浅野内匠頭長矩公の墓石を建立して回向をつとめ、その後に討ち入りを果たしています。
切腹した浅野内匠頭と四十七義士の回向のために奉納された扁額。浅野内匠頭の正室浅野阿久利(瑤泉院)による奉安で、日付は四十七義士切腹の翌月にあたる元禄十六(1703)年三月。
明治以降も、広島藩主浅野長勲侯(1842~1937)、不平等条約改正に奔走した外務大臣陸奥宗光侯(1844-1897年)らが無量光院に逗留しています。
このような関係から、当院と上杉家、浅野家、織田家、また有栖川旧宮家との檀契が今日もなお続いています。
奥之院織田信長公・浅野家・有栖川宮家 墓所